劇場版「聖闘士星矢 天界編 序奏〜overture〜」について。

遅ればせながら見ました。熱烈な星矢ファンである筆者による評です。

天を目指したイカロスがその夢が果たされることなく落ちていった様に,神と人間との明確な違いを描くことが今回の劇場版の目的となっている。
星矢たちは,アテナや地上のためという崇高な目的のために戦っているのでは無くて,自分の意志で沙織という人格を持った人間のために戦っている。
それこそが神をも越えようとする力を人間が手に入れられることを可能とする術であったというのが物語の主旨である。
今回の劇場版は,原作で描かれることの無かった天界編のプロローグとなっている。そのため物語は途中で打ち切られていて完結していない。
セールス的に成功すれば続編が作られることもあるかもしれないが現段階ではそういったアナウンスはされていない。
さて物語は途中で終わってしまうが,作り手の主張は全て物語内で描かれているのでこの部分については特に不満は無い。
キャラデザ並びに作画監督担当の荒木&姫野コンビの超絶な作画は十五年という年月を感じさせない仕上がりだったし(ハーデス編は此処では語らない)
何と言っても監督である山内重保氏の演出コンテのレベルは正に神の領域にまで達していたからである。

同監督によるOVA「ストリートファイターZERO(前後編)」もそうだったが,山内監督は「戦う」意味を作品の中で頻りに説いている。
神々は「人間の存在は邪悪」と定義しているのだが,この部分をアテナ自身も少なからず認めているためか単純明快な展開は消え失せてしまった。それにとって変ったのが思想的な部分だ。
それが聖闘士同士のバトルから爽快感や高揚感といった箇所をすっかり削り取ってしまった。リアルな描写による戦いさえも冷めた視点で描かれているようで寒々としている。
黄金聖闘士の魂も封印された今,戦っているのが青銅聖闘士五人という設定も物語的には辛いものに変えていた。
それ故に沙織さんが星矢たちを戦いから解放させたいという気持ちは痛いほど伝わって来たのだが・・・。
本作の最大のアキレス腱は主役であるイカロスがラストに出てきただけのアポロンに完全に食われていることであろう。それだけアポロンの存在が大きかったことを作品自体が証明してしまったようだ。
http://www.toei-anim.co.jp/movie/2004_seiya/