機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第28話 残る命 散る命

壮絶である。ミネルバは半壊状態。ルナマリアやレイの機体だけではなくてアスランセイバーガンダムまで破壊されるという描写(アスラン弱すぎ)に驚かされた。
・・・正直、何が正しくて何が誤っているのか分からなくなってきた。
前作は、暴走する地球軍とザフト軍を止めるためにアークエンジェルが突き進むという理念に共感することが出来たのだが、本作ではそれを肯定するわけにはいかなくなっている。
地球軍とザフト軍の対決にアークエンジェルが絡むという構図は同じなのだが何故そんなことになるのだろうか?
それはアスランやシンの視点から物語を見ると、キラやカガリの綺麗事の矛盾が歪な形で描かれていることと無縁ではない。
「戦いをやめろ」と主張する者が回避するための策を講じず戦場で強大な武力で参戦して来るという矛盾。
地球軍&オーブ艦隊がミネルバに一方的に戦闘を仕掛けて来るという状況を考えればアスランの主張こそが正しいのではないのだろうか?
そのため種割れしオーブ艦隊を壊滅へと追い込む「激動たるシン」の破壊行為さえも当然というか真っ当な描写に思えてしまう。
結局、キラはアスランと対決し、セイバーを切り裂いてまで何をしたかったのだろうか?
「争いを止めさせたい」。果たしてそれだけなのだろうか?
そう唱える者が何故、強大な武力を持って戦場に立ち塞がるのか。そうやって武力で押さえることが更なる反発と火種を産み出すということに気づいていないのだろうか?
それでもキラやカガリの言うことが辿り着くべき正しき道なのだろうか?
決してそうは思えない。少なくともFILMを見る限り決してそのようにはなっていない。何故、そんなことになっているのか?
これは作り手が答えを明示するのでは無く、見る側が正しき答えを導き出すという作りのためである。この方針が本作でも採られているために複雑な物語が更に理解しづらいという状況になってしまった。
話し合いが大事と唱えるキラが最終的にアスランに刃を向けたという事実に正直、怖さを覚えた。あの時のキラは、正にキレた刃という表現が適当な姿だった。
怒りで種割れしたシンの描写。感情の高ぶりが種割れの要因というのは明らかだ。そのためどっちつかずのアスランは本作では一回も種割れを起こしていない。
認識力の拡大は、正しき行為に行われるわけでは無い。これは理不尽でも何でもなくて全てに対して平等の結果となっている。
アスランカガリとの間には齟齬が産まれてしまい、アスランカガリよりもプラント国家を選択してしまう。アスランの置かれた状況を考えるとこの心情は理解できる。
アスランは、キラよりも不器用な生き方しか出来ないのだから・・・・。
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(追補)
自分に手を差し伸べてくれたトダカ一佐をシンが知らずにソードインパルスの大剣で叩き切る場面は強い印象を与えてくれた。
戦場には殺す者と殺される者の二種類しか存在しない。シンの刃は守るためにだけ存在するのではなく他人を傷つける側にあるのだという事を表現する描写には納得。
その事にシンがいつ気づくのかがポイントだろう。それにしても引用しているのがゼータだけあってDESTINYも業が深い。