TV版AIR 第七話 ゆめ〜dream〜

脚本:志茂文彦 絵コンテ:北之原孝将 演出:北之原孝将 作画監督:米田光良
美凪&みちる編も終わり,物語は佳境を迎える。往人と観鈴の夏は始まったばかりだけど長い旅は終わろうとしていた。
往人と観鈴。そして晴子の三人しか登場しない世界はさながら舞台劇のように淡々と展開する。しかし彼らに待ち受ける過酷な運命は散りゆく魂の閃きを映すかのように激しく揺れ動いていた。
・・・何も無い。いつものようにポテトが走ったりみちるがシャボン玉を膨らませたりしてドタバタが用意されている訳でもない。
あるのは原因不明に病で寝ている観鈴とそれをただ見守る往人の描写だけだ。
暑い夏の日。ひっそりと佇む家の中で女の子が何かに苦しんでいた。彼女の名前は神尾観鈴。世界でひとりぼっちの女の子。
この時点では全く見えてこない物語。往人が探している「そらにいる女の子」。女の子と観鈴との直接的な関わりは描かれることも無く日々の描写が続いていくだけだ。
それを25分という時間を使ってじっくりと描いていく。原作のゲームに限りなく忠実に描かれていく展開。
重要なポイントを巧みに抜け出し映像化していく京都アニメーションのスタッフの情念にも思える作りが遺憾なく発揮されるシーンである。
膨大な情報量だったゲームから必要な情報のみを抜き出すという行為そのものが,後の展開とリンクしてくるという巧みな作りにただただ驚くばかりである。
ゲームでは絵として描かれることの無かった往人の母親。
立ち絵を用意せずプレーヤーの想像で処理するというのは現在まで脈々と続いている麻枝氏演出の定番だがTVアニメでは出来るだけ違和感なくビジュアル化されている。
それでもAIRという作品の魅力に変わりは無い。あるのは「法術」という力の本来の使い方さえ忘れてしまうほどの流れていく時の儚さだけだ。
観鈴「・・・海に行きたい」。
観鈴一人では実現可能なこの行為も往人と観鈴の二人では決して適うことは無い。これこそが物語を更に過酷なものにしていく。単なるシチュエーションだと思っていたこのシーン。
この場面に隠された意味に後に涙することとなる。
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