機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第19話 見えない真実

表層だけを追いかけていると見えないモノがあることを劇中で知らしめてくれる。それが具体的に言葉や描写として存在しているならば尚更である。
ミーア・キャンベルや最高評議会議長ギルバート・デュランダルの再登場は単に語り部ではなくDESTINYの世界を語る上で顕著な存在として用意されている。
マクロスを引用した様にしか思えないミーアの描写がそれに当たる。
リン・ミンメイ世代を知っている者には単に恥ずかしいだけのシーンだが,何故こういった場面が必要なのかが鍵となる。
ザフト兵の慰問。即ち最前線で戦う兵士の士気の向上は軍隊ならば当然,考えられるべき処遇である。
だが本来,ラクス・クラインは平和のために唄うことはあっても,国益に適うとはいえ軍の志気のみを高揚させる場で唄うことは決してしないだろう。
シーゲル・クラインの娘であると同時に歌姫であるラクスの存在とは大きく,それは今でもプラント国民の拠所となっている(理由は不明だが)。
そんなラクスをデュランダル議長は明らかに政治的に利用しようとしている。それは以前語った「私のラクス・クライン」という言い回しからも明らかである。
ラクス・クラインは一人で良い。ラクスの名前を持つ者は一人で良いという思想は,アークエンジェル的な役割を担うミネルバにも当てはまる話である。
アークエンジェルに取って代わるのがミネルバであり,本当のアークエンジェルが動き回ると都合が悪いのである。アスランの様に自らの手駒として取り込めれば良し。だが意に適わず取り込めないのなら・・・。
表面上,穏健派に等しい思想と行動を選択している議長に何故そのような行動が必要なのだろうか?
「ならば仕方ないですかね」。この言葉はブルーコスモスの攻撃を前に結果的に打って出た議長が発した台詞だが,これこそが戦いが終わらない最大の理由ではないかと考えている。
戦いが終わらないのはブルーコスモスやロゴスの存在故ではなく,人類全体に受け継がれている特定の遺伝子にあると解釈しているのだが・・・。
ところで制作スケジュールが崩壊し始めているようで作画が全編に渡って乱れている。来週も総集編になってしまうのだろうか?