機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第26話 約束

本論が始まっているので物語の展開が早くなっている。明らかに流れはゼータを踏襲しているのだが時代の変化と共にキャラクターが変化が生じているのは興味深かった。
オンエア時にゼータのフォウ・ムラサメに強い思い入れは無かった。強化人間という存在を印象づけるために用意されたという意味合いしか感じなかったからだ。
それが安易な見方であるのを知るのは,かなり年月が経ってからであった。それはともかくとしてDESTINYにおけるステラという存在は最初から突出した存在に思えた。
前作でも連合のエクステンデッドは登場していたが単なる戦闘マシンとしてしか描写されていない。更に物語に絡むだけの役割も無かったので正直,何のために出したのかという気がしないでもなかった。
今作でも,さほど変わらぬ描写のため期待もしてなかったのだがどうやら様相が違ってきた。
ステラは前述のフォウの役割を担っているのでそれなりに出番は増えるのだろうと思っていたが精神的に壊れているためか存在そのものが際立っているのだ。
同様のキャラでフレイ・アルスターの存在が上げられる。フレイはエクステンデッドでは無いし壊れているわけでも無かったが,すぐに折れてしまいそうな脆さを抱えていた子だった。
それはステラにも当て嵌まるが加えて両者が似ているのは「生への渇望」と言えないだろうか。死に対する恐怖や畏怖が別の人格を作りだし乗り越えようとする辺りに共通点を見たわけだ。
奇しくも両者の声優さんは同じである。それを考えるとやはり福田監督に意図的な思いがあるのかもしれない。
そんなステラとシンが主となる物語が展開されるが富野ガンダムで踏み込まなかった領域に敢えて入っていった辺りが気に入った。
医学的な裏付けを用いてステラに何もしてあげられないという状況を認識させるのがそれだ。
シンがどんなにステラを助けたくてもどうにもならない現実。ましてやザフトにとっては敵兵という認識である。助ける義理もない。ガイアとの戦闘の傷跡を考えればこれまた当然の処置であろう。
軍本部からの指示で連合のエクステンデッドそのものを確保。そして研究するプロジェクトでも立ち上げられなければどうにもならないのである。
そのためシンは,ただステラの側にいてあげるということしか出来ない。これこそが感情に訴えることの出来る描写を産み出すわけだ。
SEED本来の姿は,思いや感情が律する行為を正しい認識力で貫くという作品である。回り道をしてもいつかは己が信じている場所に辿り着きたいという構成だ。
思いや理想論だけでは決して戦えない。現実は辛いかたちで突きつけてくるからだ。良いと思っていた行動さえも本当に正しいのかと疑問を抱いてしまう。
・・・迷い・・・悩み・・・そして苦しむ。それでもその先にあるべき世界を良きものと信じてただひたすらに歩き続けていく。
根底の部分はシンプルな構造でありながら目に見えない世界を登場人物の視点から描いていくのがDESTINYという作品である。
守るべきものを持たなかったシンを押し上げるためにはそれなりの対価が必要だという設定は分かってはいるが見る側としては辛い。